秦野たばこ祭の歴史 《5》 たばこ栽培の終焉とたばこ祭

変化するたばこ祭の意義

 昭和40年5万人であった秦野市の人口も昭和50年には10万人を越えました。秦野市の姿も急激に変わりはじめ、農業は温室栽培などがメインになり、工業団地が整備され市内の産業の中心は工業へと変わり、古くからのたばこ耕作者は徐々に姿を消しました。

 たばこ祭も人口の増加に合せ、様々な年齢層が楽しめる行事を企画しました。

 第25回(昭和47年)には、家族向けの行事として怪獣ショーや若者向けにバンド演奏などの野外演芸ショーを導入しました。しかし、たばこ祭の規模の拡大に反して、たばこ耕作は減少し、昭和49年(第27回)には、秦野特有の葉たばこ「秦野葉」の栽培が終焉を迎えます。

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 たばこ祭は、第28回(昭和50年)から市役所前の道路が歩行者天国となり市民に開放されるようになりました。歩行者天国は回を重ねるごとに広がり、やがて上宿通りまで至ります。

 そして、昭和59年11月秦野で唯一たばこ栽培を行っていた農家が、栽培の継続を断念、秦野のたばこ栽培に終止符が打たれました。

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