秦野市観光協会 - Hadano City Tourist Association
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 弘法山公園散策マップ
弘法山公園散策マップ

       ※ マップ上の丸数字をクリックするとポイント紹介が見られます。

浅間山、権現山、弘法山の3つの山を含む地域を弘法山公園といいます。
弘法山公園は、かながわの景勝50選、かながわの探鳥地50選、かながわの花の名所100選、関東の富士見百景に選ばれています。さらに弘法山公園・吾妻山コースというハイキングコースの一部でもあり、一年を通じてたくさんの人が訪れます。

弘法山公園は桜の名所としても有名で、公園全体で2000本を越える桜があります。桜が花開くと馬場道は桜のトンネルとなり、山頂はピンク色に染まります。特に満開の時期の週末は、お花見の人々で賑わいます。

他にも弘法大師の祭ってある釈迦堂、前田夕暮の歌碑、乳の井戸、鐘楼など見どころがたくさんあります。

【浅間山】
浅間山からの展望は素晴らしく、晴れていれば富士山や箱根の山々がきれいに見えます。富士山の見える山には浅間神社が祭られれ、浅間山といわれることが多く、弘法山公園の浅間山も同様の理由で、名づけられたと思われます。山頂にはその名残りの浅間神社の小さな祠があります。

【権現山】
権現山は別名「千畳敷」と呼ばれるほど山頂部分が広くなっています。
権現山の名前の由来は、山頂に権現堂があったために名づけられました。麓にある龍法寺の伝えによると権現山には白山妙理権現が祭られていたようです。

【弘法山】
弘法山は弘法大師が山頂で修行したことから名づけられたとの伝承があります。
この弘法山は麓の龍法寺と深い関わりがあるといわれます。龍法寺は戦国期に真言宗から曹洞宗に変わりましたが、鐘楼の下に続く沢を真言沢といい、その名残があります。

   →観光スポット紹介 【弘法山公園】

   →【弘法山公園周辺案内】 

   ▼ ここから上の弘法山散策マップのポイントを紹介します。
      (マップの丸数字のところにポイントがあります。)

 (1)  あずまや

浅間山のあずまや

浅間山から権現山を目指す道の途中にある「あずまや」です。見晴らしがよく、秦野市内の風景が一望できます。ここから下大槻地区の河岸段丘がよく見えます。

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 (2)  展望台

展望台

2001年に建てられた展望台です。晴れた日には表丹沢のやまなみから相模湾から、江ノ島、房総半島まで360度の展望を楽しむことが出来ます。
この展望台からの富士山の眺望は素晴らしく、関東の富士見百景に選ばれています。

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 (3)  バードサンクチュアリ

バードサンクチュアリ

ここには野鳥の水の飲み場があり、観察用の囲いがつくられています。
弘法山公園は平成3年度「かながわの探鳥地50選」に入っていて、一年を通じてたくさんの野鳥を観察することができます。

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 (4)  前田夕暮の歌碑

前田夕暮の歌碑

権現山山頂に秦野出身の歌人前田夕暮れの歌碑があります。
   生くること かなしと思う山峡(やまかい)は
         はだら雪ふり 月照りにけり

(この山峡にぼたぼたと雪が降っているのを寒月が凄いまでに照らし出している。それを見ていると生きていくことがせつなくいとおしく思われることだ。)

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 (5)  馬場道

馬場道

権現山と弘法山を結ぶ尾根道を言います。昔周辺の農民が草競馬を楽しんだことに由来します。現在は道の両側に桜並木があり、桜の時期にはピンク色のトンネルとなります。

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 (6)  賀茂神社

賀茂神社

弘法山公園の北側、「弘法山入口」のバス停から弘法山への道の途中にあります。

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 (7)  大津雲山(うんざん)顕彰碑

大津雲山顕彰碑

大津雲山顕彰碑は1855年(明治18年)に秦野の東田原村で生まれ、明治・大正・昭和に生きた南宗画の大家です。戦後は故郷秦野に戻り、晩年を過ごしました。そのため、市内には遺作が数多く残されています。この顕彰碑は1970年(昭和45年)に建立されたものです。

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 (8)  めんようの里

めんようの里

弘法山近くにある施設で、羊が放牧されています。
近くにある木里館というログハウス風のレストランでは、ジンギスカンやバーベキューが楽しめます。

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 (9)  龍法寺

龍法寺

馬場道から東海大学前駅方面に下ると、その途中にあるお寺です。
1591年(天正19年)に徳川家康から寺領5石の朱印を受けています。お寺には室町時代の一本作りである十一面観音像や薬師如来像が安置されています。また両像の脇侍と伝えられる毘沙門天像と不動明王像の銘は、1534年(天文3年)とあり、平成2年度に市の指定重要文化財となりました。

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 (10)  植木俊助頌徳碑

植木俊助頌徳碑

植木俊助は1892年(明治25年)足柄上郡中井村に生まれました。県下の小学校で教職について後、1922年(大正11年)秦野町立尋常高等曽屋小学校の訓導となり、融和教育に取り組みました。1927年(昭和2年)に教職を辞した後、県下の融和教育運動と被差別部落の経済厚生運動を指導し、その運動論と実績は全国的にも評価されました。

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 (11)  原久胤(はらひさたね)の歌碑

原久胤の歌碑

原久胤は下大槻村に生まれ、江戸に出て小川伴鹿(ばんろく)、本居春庭(はるにわ)に学びました。当時の国学者たちと深く交流し、万葉集の研究者でもありました。この歌碑は東京都品川区の長応寺にあったものを子孫が発見し、没後150年の平成8年に故郷を望むこの地に移設しました。
歌碑には「我庵は盛も人のとはぬかな をしまれてちる花もあるよに」と刻まれています。

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 (12)  筑波園杉人の句碑

筑波園杉人の句碑

筑波園杉人は江戸時代末の人で、江戸の筑波園杉雨(さんう)の門下でした。妻の実家近くの南矢名に住み、俳諧にも見識を持ち、寺子屋の師匠もしていました。1860年(安政7年)建立の句碑は、もともと善波峠にありましたが、関東大震災で埋もれてしまったため、龍法寺の住職が現在の場所に移しました。
句碑には「世を旅にまかせて 華のやどり哉」と刻まれています。

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 (13)  鐘楼

鐘楼

時刻を知らせる「時の鐘」として、江戸時代から1956年(昭和31年)まで秦野周辺地域の人々に親しまれてきました。この鐘は1757年(宝暦7年)に龍法寺6世が最初に鋳造しました。その後、火災などに遭って、再鋳され、現在の鐘は1801年(享和元年)のものです。

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 (14)  釈迦堂

釈迦堂

江戸時代に龍法寺の僧 馨岳永芳(けいがくえいほう)が、釈迦如来像と弘法大師像を祀った釈迦堂としたのが始まりです。1766年(明和3年)の火災で釈迦像が焼失し、石造りであった弘法大師像だけが残りました。その後、弘法大師像は現在の木像になり堂は再建されましたが、釈迦像は安置されませんでした。現在の釈迦堂は1964年(昭和39年)に建設されました。

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 (15)  乳の井戸

乳の井戸

弘法山山頂にある井戸。言い伝えによると、この井戸から湧き出た水は白く濁り、乳の香りがしていたということです。この井戸の水を飲むと乳がよく出るようになると言われ、夜中、人知れず山に登り、人が多かったといわれています。他に眼病にも効果があるとも伝えられています。

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 (16)  亀の子石

亀の子石

弘法山へいたる道の途中にある石です。亀の甲羅を思わせるような姿をしています。これは約1500万年前の海底火山の噴出物からできており、丹沢山地の基盤となっている緑色凝灰岩です。
龍法寺を開いた弘法大師の弟子の僧が亡くなったとき、かわいがっていた亀が悲しみのあまり石になってしまったという伝説があります。

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